2009年3月6日金曜日

日経夕刊連載の山本一力「おたふく」……弁当代30文はいくらなんでも高すぎるのではないか!

日経夕刊で連載している「おたふく」(山本一力)。面白いので毎回読んでいるが、作者の「政治的」主張がとてもクサイ。今度はどんなことを言うのかと思っていたら、今晩、職人相手の弁当屋をはじめる裕治郎は弁当の値段を30文と決断することとなった。見習い小僧の日当が70文であるに対して、あまりに高い。

「儲けのない商いは、詰まるところ客に迷惑をかけて畳む羽目になる」という友人駿喜の言葉を入れての決断だが、山本一力はここで言いたかったことは、現在のニッポンで流行っている「安売り」ビジネスへの批判であることはあきらか。コストが掛かる以上消費者はそのコストを負担しなければならないという生産者側に立った「哲学」である。山本一力がこういう具合に話を誘導してゆくことは一週間前からミエミエの展開だったが、あんまり「生産者(既得権集団)」擁護志向が強すぎやしないか? > 一力先生よ。

見習い小僧は「美味しい弁当を届けて貰えるなら、三十文でも御の字だ」と言っているとのことだが、日当の40%以上をたかが昼飯に支出する「見習い小僧」の消費態度こそが問題で、立派な社会人であれば、もっと堅実に身の丈にあった消費をするのが人間の道だと小僧を説教するのが大人の努めであったのではなかったか?

現代ニッポンでは、食い物はこれがウマイのだと、勝手に都市のビンボー人を騙して宣伝・洗脳し、ビンボー人からなけなしのカネを搾取する輩が多すぎる。裕治郎のやっていることは、それと同じで都市勤労者をミスリードしてお金を遣わせ、彼らに害を及ぼすことだ(ウマイ・マズイは主観的なもので裕治郎の決めることじゃない、麦飯でもおいらみたいにウマイと思う人にはウマイのである)。そのことに山本一力氏が気がつくことを願ってやまない。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

山本一力氏は何年か前のNHK教育番組のインタヴューで、次のように言っています。(もはや正確な記憶ではありませんが)

「金持ちらしい金持ち」、「貧乏人らしい貧乏人」、これは当たり前。「貧乏くさい金持ち」これは最低。一方、「貧乏くさくない貧乏人の暮らし方」もある。たとえ一匹の鰯でもおいしそうに食べれば幸福感があるものだ。

彼はサラリーマンになる前、それを辞めて起業してからも、相当な貧乏暮らしを経験しているようです。直木賞の授賞式に自転車でかけつけたことが当時話題になりましたが、彼にすれば、もともとタクシー代がないほど貧乏暮らしをしているから自転車に乗っている
という感覚ではなく、どこに行くにしても自転車で走行することは楽しいことだというライフスタイル(気持ちの持ち方で貧乏くさくなくなる)をもっている、ということのようです。
だから金回りがよくなったであろう現在も、住んでいる深川から日本橋あたりまででも、奥さんや時には子供とともに自転車で移動していると、どこかで語っています。

私は日経の連載を満足に読んではおらず、文学論を語る能力もありませんので、ピントがはずれているかもしれませんが、ご指摘の場面は、彼自身の価値観の表現というより、いつの時代にも存在する人物や情景描写として書かれているのではないのでしょうか。

ついでながら、散人さんの正体は、いつまでも覚醒しない真正都市ビンボー人に代わって、“公憤”をはらしている「ビンボー人のふりをしたカネモチ」とみています。(これ半分ジョウダン)

Unknown さんのコメント...

山本一力氏は個人的にはたいへんな苦労をされている立派な人だと思うけど、かれは今の利得権集団「体制側」に「反自由主義・反規制改革」の旗印としてにいいように利用されている。これは山本氏の本意ではないと思う。これが気に入らないところ。

>ビンボー人うんぬん

これだけの大破局でビンボーにならなかったのは既得権で食っている利権集団だけ。あいつらは税金で食ってるから普通の人たち(ビンボーになった人たち)にはなお余計に負担がかかる。あいつら国賊。